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アニメの歴史(アニメのれきし)では、これまでの日本国内外のアニメに関する主な出来事を挙げる。
日本でアニメの制作が始まったのは大正期であり、外国から輸入されたアニメーション映画の人気を受けて製作されたものである。下川凹天、幸内純一、北山清太郎の3人がそれぞれ別個にアニメの製作を手がけ、時期的にも同時期だったため、3人のいずれもが日本のアニメの創始者と位置付けられている。諸外国と同じく当初作られていたアニメは数分程度の短編映画が多かった。作り手も個人もしくは少人数の工房での家庭内手工業に準ずる制作体制で、生産本数も少なく、生産の効率化を可能とするセル画の導入も遅れていた。1930年前後にセル画が使われ始まるまでは、日本では切り絵によるアニメが主流であった。第二次大戦を迎えると、戦意高揚を目的とする作品が制作される。軍部が提供した潤沢な予算は技術力の向上に繋がったとの評価がある。第二次大戦後は、映画会社の東映は1956年に日本動画社(日動)を吸収合併し、アニメスタジオ(東映動画)を発足。劇場用アニメーション映画の製作を開始した。最初の劇場長編作品は白蛇伝(1958年、79分)で、「東洋のディズニー」を目指した目論見通りに海外へも輸出される。その後年約1本のペースで新作が製作されたが、高品質のフルアニメ作品を少量製作する体制だったため、作品数はあまり多くならなかった。しかし、国際的には継続的に年に1本のペースで劇場長編作品を生産可能だった国はアメリカと日本しかなく、これがアニメ大国への第一歩となった。